彦根のお仏壇と七曲がり(「井上仏壇」さんを訪ね、彦根へ行ってきました)*地域実践学3の授業レポート*
3年生の地域実践学3の授業レポート。
100年以上の歴史を持つ彦根のお仏壇屋さんが、長年培われてきた高度な職人技を、さらに、未来へと残そうとするお話。
2022年5月12日の地域実践学3の授業は
滋賀県におけるソーシャルイノベーションの事例/招聘教員のレクチャー その①と、しまして、
地域実践領域、招聘教員 井上 昌一(いのうえ しょういち)先生にお越しいただきました。
井上先生は、明治34年(1901年)創業の「井上仏壇」の代表として仏壇製作のディレクターも務められています。
仏壇づくりの技術を活かせるような領域の拡大、仏壇職人の後継者育成、技術の伝承。お仏壇屋さんの新たな姿を模索し続けてこられました。
彦根仏壇とは、彦根の城下町と中山道とを結ぶ重要点である通称『七曲がり』で発展の基盤が形成されました。
釘を使わずに後から分解できる「ホゾ組み」の木地。「木目出し塗り」の漆塗り。上品な輝きと重厚感がある「重押し(艶消し押し)」の金箔押し。本来の彦根仏壇は、蒔絵や金箔、錺金具をふんだんに取り入れた豪奢な4尺以上の大型仏壇が多いそうです。耐久性にも優れた高級仏壇です。
彦根仏壇の起源は明らかではありませんが、
井上仏壇さんを訪ねて、彦根城から「七曲り」を通り、南彦根駅へ歩いてみました。
現在も仏壇屋が立ち並ぶ『七曲り(
『七曲がり』はその名の通り屈折した道筋で、
「ひこね七曲がりマップ」
*「御城下惣絵図」(ごじょうかそうえず)という江戸時代の彦根城下の様子を伝える古地図から作られたマップのひとつ。
彦根城のサイトから、色々な地図をダウンロードできますよ▷https://hikonecastle.com/burahikone.html
木地師、宮殿師、彫刻師、漆塗師、金箔押師、蒔絵師、錺金師、
浄土真宗本願寺派(お西):写真左と、真宗大谷派(お東):写真右
お仏壇の内部の本尊を安置する部分は「宮殿(くうでん)」
この宮殿は、お寺にある宮殿を、
なので、この宮殿を見ることで「これはどの宗派のお仏壇なのか?」
大谷派の金仏壇の宮殿の柱は、黒い漆塗りの柱に金色の錺(
一方で、本願寺派の金仏壇の宮殿の柱は、
また、屋根のつくりも違うそうです。
蒔絵(まきえ):表面に細い筆を使って漆で絵や文様を描き、
ひとくちに伝統工芸と呼んでも、その産地や素材、技法など、多種多様です。
井上昌一先生は、職人さんたちとイチからモノ作りをする過程で、“できること” “できないこと” “挑戦してみたいこと” “得意なこと”と、製品の価格や魅力を探ってこられました。
これらの製品は、彦根仏壇の技術から生まれたモノです。
授業内でいくつかの製品を紹介してくださいました。
写真、左の黒い立方体は時計ケース。ワインダー(機械式時計のゼンマイを自動的に巻き上げるケース)本体に、漆塗りと蒔絵を施した製品です。ケース外側のアルミニウムに直接漆が塗られています。
漆の艶やかな表情と金蒔絵の精緻さ、文様の縁起が添えられ、伝統技術を手元で楽しめるような大きさになっています。
カラフルなこちらの器は、chantoの色漆の商品です。
手が触れる部分は、漆を塗らずにケヤキなどの天然無垢材の風合いを、縁・ピンクの部分は、厚みのある滑らかな色漆が塗られ、優しい口触り。天然漆と顔料だけを使って自然素材で作られています。
引き続き、彦根をぶらりフィールドワーク。
こちらは彦根市のマンホールです。
中央は彦根の市章(実は、
3階3重の屋根で構成された彦根城天守が乗っかっています。
彦根市街を流れる芹川。
ひとつの生業を通して、地域のことや現代の伝統技法をまもる職人さんたちの取り組みを知るきっかけをいただきました。
「七曲がり」や彦根仏壇についてもっと調べてみたかったのですが、観光案内のウェブサイトや『彦根市史』のページをめくるだけではまだまだわからないことだらけです。
引き続き、調べていきたいと思います。
彦根のお仏壇について丁寧に解説してくださった井上昌一先生、ありがとうございました。
レポート:山田真実(地域実践領域 助手)
地域実践領域(招聘教員) 教授
井上昌一 INOUE Shoichi
「株式会社井上」代表取締役、「彦根仏壇事業協同組合」理事長。
近世以降、錺金具や、彫刻、金箔押しなど高度な七つの職(技術)によって支えられてきた仏壇づくり。彦根仏壇と呼ばれた貴重な地場産業を守るため、その技術を調度品や雑貨など、次世代に息づく新たなものづくりに活かすという挑戦に取り組んでいる。
●井上仏壇 〒522-0031 滋賀県彦根市芹中町50
(井上仏壇 https://www.inouebutudan.com )