「挨拶のような」 アシスタントレポ:岐阜県大湫町より③《制作編》
アシスタントレポ:岐阜県大湫町より③《制作編》
4月20日は暦上(二十四節気)での穀雨(こくう)。穀物を潤す雨が降り、作物がぐんぐん背をのばし始めていますね。日々、日差しも強まってきたように感じます。
成安造形大学は新年度の授業が二週間目に突入しました。
地域実践領域では今年も去年に引き続き、感染症対策のため分散フィールドワークとオンライン講義の両軸で授業をすすめています。
さて、
領域のアシスタントレポ第三弾は《制作編》。
地域実践領域では学生の方と一緒に授業に参加している私ですが、実は制作では木版画をつかったものづくりをしています。
第一弾、第二弾と続いてレポートしてきた岐阜県瑞浪(みずなみ)市 大湫(おおくて)町 での
『RE:神明大杉 Artist in Residence Program 大湫/滞在制作日時 :2021年3月26日(金)~4月5日(日)』、今回は滞在制作の様子を書き残しておこうと思います。
●クラウドファンディング からはじまった
地域実践領域アシスタントの山田は、大湫のシンボル、御神木の大杉の年輪を版画の技法で摺りとるために大湫町で滞在制作を行っていました。
令和2年7月の豪雨。中山道・大湫宿の街道筋にあった神明神社の御神木がこの時、根元から横倒しになってしまいました。雨と霧を暗闇と砂塵、視界もおぼつかないなか、町中に杉の“いい匂い”が強く立ち上がり、その香りは数日つづいたそうです。
町民にとって心の拠り所だったこの大きな木を、「記憶や記録、形として残していきたい」という思いから復興のためのクラウドファンディングが立ち上げられました。
クラウドファンディングサービスサイトREADYFOR:【令和2年7月豪雨】樹齢1300年の大杉被災復興プロジェクト(※2020年12月20日募集終了)
私の大湫滞在は
『【令和2年7月豪雨】樹齢1300年の大杉被災復興プロジェクト』の返礼品のひとつ『大杉の年輪の木版画を摺る』
というのが主な目的、
そして、公開制作をしながら版画を通して大湫町や倒木した神明大杉に関わる方々と関わらせていただく時間となりました。
今度、摺らせていただいたのが、この大杉が倒れて道路へなだれ込んだ部分を切り落とした箇所です。
●アーティストトーク(と、いうご近所さんへのご挨拶)
3月28日14:00にスタートしたアーティストトーク。あいにくの雨模様。足元の悪いなかでしたが、20人ほど集まっていただき、私が木版画について考えていることをお話しできる機会をいただきました。
●つくりながら、考える
切り出してきた木材は、すぐには摺れません。版画にするためには、版になる面をある程度の具合に平らにする必要があります。ヤスリでやすってやすってやすって、さらにもうちょっと磨いて、試し摺りしてみて、ということを期間中に繰り返していました。
4月4日から4月8日ごろは七十二候で清明(せいめい)の初候、「玄鳥至 (つばめきたる)」。
昔から、「ツバメが巣をつくると、その家に幸せが訪れる」といわれ、ツバメを大切にする習慣をもつ方が多いですよね。私の作業場としている“旧お茶工場”にもご夫婦で遊びにやって来てくれました。
この展覧会のDMです。
新型コロナウイルス対策のため、遠方からのお客さんを呼ぶことが叶わなかった今回のレジデンス。代わりに、大湫の作業場から遠くに住む人へ、木版スタンプの葉書を送らせていただきました。
制作の期間、多くの方が作業場にまで足を運んでいただき、色々なお話しをしてくださいました。私にとって胸がいっぱいになるような出来事でした。
摺りをやってみて、上手くいきそうなもの、難しいものがじわじわ見えてきました。
ちょっと休憩《ご当地名物、五平餅》
中部地方の郷土料理としても知られる五平餅。
平べったいわらじ型のものと丸い団子型のものがあります。
そして、五平餅の味の決め手は醤油や味噌をベースとしたタレ。調味料の他にピーナッツやクルミなどを加えることもあるそうです。私が食べた「あまから本店」の五平餅は丸い団子型。お米の粒のほどよく残ったもちもちと、胡桃の風味が、また、美味しい。
タレやだんごの形だけでなく、串の形にも注目!竹を使った串と木のヘラの形の串の2種がメインに使われています。刺しやすさ、食べやすさ、だんごの落ちにくさ、見た目、と、作り手によるこだわりは細部に宿っています。
1本食べると、もう1本、もう1本ともうとまりません。ガッツリ食べたい食欲を見越して、地元の方は一度にたくさん購入していくのがテッパンなのだとか…!
(※岐阜県・恵那にある「あまから本店」。本気で食べたくなった方…白生地・タレは全国発送されているそうです。)
甘いもの食べて、作業再会です。
●“そこ”からはじまり、作る
「“げいじゅつ”って、ようわからんのやけどな。」とはしょっちゅう言われてしまうのですが、かく言う私もちっともわかっていません。考えれば考えるほど、わからない感じになります。
しかし最近、私なりに感じている“げいじゅつ”とは、“挨拶のようなものなんじゃないのかなぁ”というのが現時点での回答です。
答えの出ないような事がらのまわりをグルグル廻りながら考え続ける行為の過程で、新たな出会いや景色が見えてきて、以前よりも少しだけ遠いところに来れるように。
その繰り返される出会いと別れのやりとりを相手に伝えるもの。
そんな応答の方法が私にとっての“げいじゅつ”かもしれないと思っています。
何百年と生きてきた大木は私の寿命よりもずっとずっとずっと長い時間を覚えています。
そのことについては、私がどんなに考えても想像しきれない、身に余るような出来事なので、私はわたしが思いつける範囲の事をその場その場で考えてやっていくことしか出来ませんでした。
一重の年輪には、その木が過ごした一巡り分の季節がひそんでいるはずです。
だから私は想像してみました。目の前にあるものを手がかりとして、ここにないものをたぐり寄せるには。
●それも、木版画
制作の合間のご近所さんぽ。
大湫宿の街道に面したお宅が掃除中。いつもご挨拶してくださるおじさんと開け放たれた門戸越しにお話ししていたら、「ちょっと面白いもの見せてあげるよ」と…。
年季の入った引き出しの奥から出てきたのは
ひと目で年代物と感じるような、手書きの本や出版物、紙の印刷物でした。
戦時中の規律についての学生に向けた発行物、
明治期の新聞、
江戸時代後期の日付が記された書付。
中でも、私が心奪われたのが…
木版で摺られた、街道沿いの宿場町表、そして行き来のためのだちん表です。
誰かが彫って、摺って、見て、使って、使って、仕舞って、取り出して、ここにあるもの。
現代よりもずっと生活の身近なところで役割をもっていた木版画。
私がいま作ろうとしている木版画とは全く性質の異なるものですが、それを生み出す過程/基本的な技法 はほぼ同じ姿のまま残されているはずです。
時代やまわりの環境によって方法や素材を少しずつ変えながらも、今に至るまで木版画が作り続けられてきたのは、木版画の“どこでも、誰でも”作れる。という手軽さと、私たちの生活のすぐそばにある“木”への親しみがあるからだろうと思っています。
ものづくりをすることの意味について、“木”との関係のあり方について想像することとなった数日でした。
最終的な返礼品の姿を載せることはできませんが、試し摺りのいくつかが次のようになりました。
“ものづくり”について、“げいじゅつ”について考える日々は続く。
「ようわからんのやけどな。」
レポート:山田真実(地域実践領域 アシスタント)2021/04/21
「“げいじゅつ”って、ようわからんのやけどな。」と言われるのはしょっちゅうだ。かく言う私も実はわからない。
最近、私なりに感じている“げいじゅつ”は、“挨拶”のようなものなんじゃないのかなぁ、と思っている。
答えの出ないような事がらのまわりをグルグル廻りながら考え続ける行為の過程で、新たな出会いや景色が見えてきて、以前よりも少しだけ遠いところに来れるように。その繰り返される出会いと別れのやりとりを相手に伝えるもの。そんな応答の方法が私にとっての“げいじゅつ”かもしれないと思っている。
公開制作の期間、多くの方に作業場まで足を運んでいただき、色々なお話しをしてくださったことは、私にとって胸がいっぱいになるような出来事だった。
「進捗どうですか。」「昨日も遅くまで作業してたでしょう。」気にかけてもらっていることに、うっかり泣いてしまいそうになる。
この滞在制作の11日間、私が寝食をお世話になったTさん(米屋さん)のお宅には、歩くのが上手になり始めたばかりの女の子がいる。彼女はこの4月末に1歳となる。
1歳。もしもわたし達が『木』だったら、1歳(一年)ぶんの年を重ねた痕跡が私の中にも残っているはずだ。
一重の年輪には、その木が過ごした一巡り分の季節がひそんでいる。
だから私は想像してみる。目の前にあるものを手がかりとして、ここにないものをたぐり寄せようとする。
きっとこの一年間に色々なことがあっただろう。一人ひとり、それを感じる人の数だけ。
ゆっくりと時間をかけて育ってきた木は年輪も細かい。
神明大杉は私の寿命のずっとずっとずっと長い時間を覚えている。そのことについては、私がどんなに考えても想像しきれない、身に余るような出来事なので、私はわたしに出来る事をその場その場で考えてやっていくことしか出来なかった。
このような、特別なことに関わらせていただき、ありがとうございました。
年輪の一巡り分の時間が、全ての人にとって特別な時間となりますように。
そして、この一年ぶんの歳を重ねたことにも。
誕生日おめでとう。
山田真実『滞在制作について、思ったこと』、大湫の広報紙「大湫」5月号掲載