skip to Main Content
加藤先生レポ:湖北菅浦を訪ねてきました

加藤先生レポ:湖北菅浦を訪ねてきました

6月10日(日)、近江学研究所の現地研修の下見で、湖北菅浦を訪ねてきました。

長浜市西浅井町の菅浦は、かつては陸の孤島と呼ばれ、船でしか行くことができない集落であったといいます。今では、車や観光バスで訪ねることができ、今年の近江学研究所の会員限定の現地研修は、この菅浦をメインとして設定しています。その下見として久しぶりに菅浦を訪ねました。

菅浦は、竹生島が描かれた村落絵図や菅浦文書(中世村落の文書)で知られ、集落の氏神である須賀神社を随筆家白洲正子が裸足で参拝したエッセイが名著「かくれ里」の中で紹介されまています。

今回、私はその集落内に「ヤンマー菅浦農村家庭工場」という小さな作業場を発見しました。菅浦は、近年、国の重要文化的景観に選定され、別に日本遺産滋賀びわ湖の構成要素となるなど、注目されています。その一環として集落内に表示看板などが整備され、ボランティアで現地を案内するグループが組織されていおり、その方々のご案内で、この作業場に改めて気づきました。

「ヤンマー菅浦農村家庭工場」とは、昭和35年(1960)に、ヤンマーディーゼル創業者の山岡孫吉氏が、長浜の工場に労働力を集中させるのではなく、現地の人たちが農業や漁業の傍に作業ができるようにと発案した小さな作業場のことで、今も数軒の作業場が稼働しています。

都心部周辺の大工場に人口が集中し、地方の集落が一挙に過疎化したという高度経済成長期に、集落に小さな工場をつくって労働力を確保するという、菅浦にもヤンマーにも良い画期的な事業であると再認識しました。

地方創生が叫ばれ、地方の人口流出が著しいという大きな課題を抱えた現代社会において、この事業は大きなヒントを我々に与えてくれました。早速、地域実践領域の学生たちにSDGsを考える授業で、紹介しました。

Back To Top
×Close search
Search