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地域実践基礎演習4-水口FW-2018.12.19

地域実践基礎演習4-水口FW-2018.12.19

みなさんこんにちは!

今回は、地域実践基礎演習最後のフィールドワークの舞台、水口についてレポートします!

水口町は東海道五十番目の宿場町。

徳川家光が京都へ向かうまでの宿館として利用した水口城跡や、「江戸口」とも呼ばれた水口宿東見附跡など、当時の賑わいが想像できる箇所が今でも見られます。

また、水口は、水口自治振興会が甲賀市と協働で取り組む「みなくち盛り上げ事業」など、まちづくりに真剣に取り組んでおられる地域です。

ちなみに、この日初めて近江鉄道に乗りました。

水口石橋駅で下車。

さっそく、水口ボランティアガイドの皆さんに町を案内していただきました!

「現代版 東海道五十三次 水口宿絵地図」をゲットし、出発です!

水口のシンボルになっているからくり時計。

毎年4月に行われる「水口祭り」の曳山がモチーフになっており、宿場町だった昔をイメージさせるからくりが仕込まれています。

このからくり時計が設置されている位置に注目してみてください。

真ん中の道路が旧東海道、その道路と右の道路の間にこのからくり時計があります。この場所は、一本の道路が三本に分岐している最初の分岐点、「三筋の町(みすじのまち)」と呼ばれています。

三筋に分かれた道が再び合流するところに、高札場跡がありました。

水口を歩いていると、至る所に火伏せの神様である「愛宕さん」が祀られているのが印象に残りました。

昔、水口では町一帯が焼けてしまう大火事があったそうです。

「二度とこんな目に合わないように」と、焼け残った木を建て替える家にも使用したといいます。

各町内でそれぞれ祀られているそうで、長年に渡って愛宕神社の祈願が続けられています。

こちらはヴォーリス建築の旧図書館。素晴らしい建物です。日によっては中も見られます。

神社に奉納される曳山は、現在では16基が所有町内の山倉に保管されています。

この日の最後は「ひと・まち街道交流館」で職員の方々に水口が今取り組んでおられることなどをご紹介いただきました。

まちの名物である干瓢をモチーフに、大学生と共同で制作されたロゴマークなど、面白くて町のために繋がる取り組みに、学生たちも真剣に耳を傾けていました。

二週目は、おなじみ、ペアでフィールドワークの時間です。

 

さてさて、どんな発表になるのでしょうか・・?

それでは、気になったプレゼン紹介にまいりましょう!

 

こちらのペアは、町内をとにかくウロウロ。気になったコト・モノを紹介しました。

桜といえばソメイヨシノが主流の日本で見つけた、藤栄神社のエドヒガン。
この桜は前回の海津にもあって非常に形状が似ているそう。
「姫塚」と呼ばれるここには、栄子姫が祀られています。
栄子姫の悲話は、地名にもその歴史を刻むものですが、ここでは、その姫塚の真後ろに位置するソーラーパネルに着目しました。
ソーラーパネルと姫塚の違和感、景観への疑問に気づくことで、その結果、ソーラーパネル設置までの経緯と姫塚の存在価値に気がつくことができました。
エネルギー源に対する市の取り組み方についても、踏み込んで聞くことができるキッカケになりそうです。
水口を通る東海道は、一箇所だけ水口城跡を避けるようにして凸になっている道があります。
そこに疑問を持ち、彼らなりにリサーチ。
関ヶ原の戦いにより水口岡山城が落城。
徳川の管轄地になり、東海道を整理した時に宿館として作られた水口城。
徳川家光は、なんと一回しか宿泊していないとのこと。
先生からは、
「東海道を曲げてまで建てた城」というところまで気付いた。あともう一歩。なぜ一回しか泊まらなかった城が長く存在していたのかまで踏み込んでみようとアドバイスを受けました。

 

予測や模索からそれぞれが派生していくところが面白いプレゼンでした。

こちらのペアは水口曳山まつりの存在を知り、滋賀県の各所にある様々な曳山に着目しました。
今回は大津と水口の違いについて発表しました。

配布してくれた資料

大津祭りに所以のある彼女が、曳山の特徴の違い、お囃子の違い、そして、町の人々と祭りの関わり合いの違いを述べました。
大津は随時曳山を解体するのに対し、水口は横幅が大きくそのまま蔵に収納される。
お囃子が水口の方がスピードが速い。
曳山を回転させる仕組みが違う。などなど・・・
その違いに対して、彼が独自の考察を述べます。
お囃子のスピードの違いについて、
大津は祇園祭の影響がある関西風のゆっくりなお囃子。
水口は参勤交代で水口藩にいた藩士が江戸から持ち帰った関東風のお囃子なのでは、と予測。
町の人々と祭りの関わり合いについて、彼女は、
大津は「伝統を重んじる印象」
水口は「地域の人々が楽しむ印象」と言います。
その理由の1つに、水口は曳山に女性が乗っているということを挙げました。
観光企画推進課の職員に聞いたところ、1990年代の新聞記事に年齢や性別の規制が外れたとの記載があったそうです。
自分の立ち位置からの視点と、聞き取り調査から、具体的な違いを提示することができました。
また、野洲川にかつて存在した「横田の渡し」という渡し場。その跡地に今も残る、東海道随一の規模を誇る常夜燈が、水口にあります。高さは7メートルにもなります。
そこを訪れた彼らは、
「立派な常夜灯に曳山、お金はどこからきたのか」という疑問がわき、宿で栄えていたところに曳山があることに気付きます。
それでは、どうすれば今の水口は発展するか。
一例に、車で東海道巡りを企画することを挙げました。
常夜灯は向こう側とこっち側、石部とつながる常夜灯めぐりをしてもらったり。
曳山巡りも面白いかもしれない。
「祭り囃子に誘われるように、曳山の魅力に気づいてもらいたい」
自分たちが旅をして楽しいと感じた経験から、新しい提案につながる予感がした発表でした。
最後はこちらのペア。
「気になるとこへ」というタイトル通り、とにかく気になるところへふらっと立ち寄り物事と接した記録を発表しました。
駄菓子などのお菓子屋さんに注目していた2人でしたが、
大岡寺にたまたま立ち寄り、お寺の掃除をしている男性とお話しをすることになりました。
こちらの放生池、なにをモデルにしていると思いますか・・・?
答えは長野県諏訪湖の形状!
水口は昔から火事が多いため、大岡寺では、諏訪湖大社本宮など水の神様が祀られています。
また、6月から9月ごろに花が満開になる水口のさるすべり。
その時期にはタマムシが寄ってくるそうです。
町中にはいないのに、この時期の大岡寺にはやってくるんだと、男性から教えてもらいました。
男性と別れた後、二人は岡山城跡へ向かいました。
丘の上は町が見渡せます。
と、ここで大きな忠魂碑が目に入ります。
のちに、この忠魂碑は日中戦争時のものだとわかりました。
その近くには、水口町戦没者の妻一同から寄付された木が植えられていました。
二人は、この場所が、水口の町が一望できる場所であり、「水口岡山城」という町を象徴する場所であるということ。
その場所だから、この忠魂碑が建てられたこと。
そして、この忠魂碑を建てた人々の想いを、自分たちの目で自ら感じ取ることができました。
先生方からは、
「町の人の声を聞き、江戸時代から戦争、現代まで、時代を経て水口に関わることで、この場所が水口の中心地で、人々が拠り所にしている場所だと理解できた。」と、粘い強いリサーチに、高評価でした。

(おまけ)

 

プレゼン後は、水炊きで〆ました🙌

みんなお疲れ様!

 

そして、水口町の方々に深く御礼申し上げます。ありがとうございました!

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