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近江八幡市浅小井フィールドワーク!

近江八幡市浅小井フィールドワーク!

秋晴れの11月25日(日)、地域実践学入門2の授業で近江八幡市の浅小井集落を訪ね、フィールドワークを行ってきました。

地域実践領域のフィールドワークは主に地域実践基礎演習(担当:石川亮准教授)で行っていますが、今回、講義科目である地域実践学入門2において、前期の授業内容を含めた総まとめの課題として、一つの集落の未来を考えるという目的でフィールドワークを行いました。

近江源氏佐々木六角氏の居城であった観音寺山や織田信長の安土城跡が眺められ、歴史文化の色濃い浅小井集落。

近江八幡市浅小井町は、北は安土城址と観音寺山、西南には八幡山が、琵琶湖を挟んでその向こうに比叡山が眺められ、北には西の湖と接する田園地帯に位置し、約180戸の民家が集まり、6つの小字(こあざ)からなる集落です。

集落にはいたるところに湧き水が見られ、戦国期の信長に由来する伝承や、天台宗の影響を受けた寺院、石仏が安置された祠、神社などが点在し、自然環境、歴史文化豊かな地域でもあります。

路が交差する辻の中央にある祠

大きなタブの木の元にある多武之木神社

毘沙門堂に向かう学生たち

 

天台宗東光寺。かつて浅小井は比叡山延暦寺の荘園であった。その関係からここに秘仏の薬師如来様が安置されそれを守るように十二神将たちが祀られる。

織田信長が安土に城を構えていた時、鷹狩りの休憩場所として「信長の宿」という小さな建物が立っていた言われる場所。あくまでも伝承であるが、その話が途絶えぬように語り伝えたいという。番外編で案内された。

湧水が自噴する憩いの場所。かつてまちづくりが盛んであった時に整備された。池には大きな鯉が泳ぎ、今も集落の人たちの憩いの場所となっている。

この地域は、江戸時代の半ば以降、イグサの栽培と、畳表(たたみおもて)の生産を生業とし、近江商人(八幡商人)の活躍によって、経済的にも豊かな地域として発展しました。現在も6基の曳山が町内を巡行する「祇園祭」と呼ばれる夏祭りが催行され、近世の繁栄を知ることができます。

郷土文化保存伝習施設「曳山とイ草の館」に展示されている曳山 全部で6基があり、上部のダシは、その年の干支や話題の人物などがつくられる。1基につき平均30戸の人たちが2ヶ月かけて制作するという。

この集落が6基もの曳山を持つことができたのは、江戸時代にイグサを栽培して、畳表をつくり、近江商人の手によって京都大阪に運ばれ、巨額の富を得たと考えられる。

平成に入り、まちづくりの気運にのって郷土文化保存伝習施設である「曳山とイ草の館」が開館し、地域の人々の交流の場、そして浅小井文化の発信の場となり、まちづくり協議会を中心に盛り上がりを見せました。

しかし、現在は、少子高齢化が進み、この地域の将来を憂う住民の姿が見受けられ、豊かな自然、歴史文化を次世代に繋ぎながら、地域の人々が誇りを持って幸せに生活出来る浅小井をつくるために、何をすべきかを考えることが求められています。

現在も浅小井地域の人々は、歴史を活かしたまちづくりや、川下りイベント、新しい企画などを実施検討されている。午前中、歴史まちづくり班は「朝恋トマト」というブランドをつくってトマトのハウス栽培をされている方を訪ねた。

今回、地域実践学入門2の課題として、浅小井のフィールドワークと聞き取りを通して、この地域の将来の姿を提案することを目的としています。

フィールドワーク終了後は、「曳山とイ草の館」の研修室に入って、地域の方々から現状の課題やこの地域がどうなって欲しいかという声を聞きました。

浅小井の暮らしに大きな夢を持てるような取り組みを考え、火が消えつつある浅小井のまちづくりを活性化させたい。地域に暮らす高齢者と若者たちがともに参加でき、交流できるような取り組みができれば。浅小井の水と空気を活かしたイベントを是非ともやってみたい。など、様々なご意見が聞かれた。

最後に、この授業を監修・指導してきた仁連孝昭客員教授が、「この授業は、将来世代が地域に愛着を持てる地域とはどんな地域なのかを考えることがテーマです。学生の皆さんは、将来世代の代表として、浅小井の若者になったつもりで、愛着を持てる地域にするにはどうすれば良いのかを念頭に置き、浅小井の人々が、豊かな自然、歴史文化を次世代に繋ぎながら、愛着を持って楽しく幸せに生活することができるためのアイディアを提案してください。」とメッセージが投げかけられました。

この後、数回の授業で内容を検討し、1月21日(月)に浅小井のみなさんを大学に招いて、提案の発表を行います。

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